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良心とソクラテス(2)

2010年7月25日
良心とソクラテス(2)

 前回、紀元前のソクラテスは自分の「衷に働く良心の声」に対していかに敏感であったかを思わされますと書きました。 
 広辞苑によれば「良心」とは「何が自分にとって善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪をしりぞける個人の道徳意識。」とあります。
 神がこの世界を創造された時、一番最後に「人間」を造られました。『神は「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。…神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」』(創世記2:26-27)とあり、人すなわち人間は、神のかたちに造られたと聖書は書いています。神のかたちに造られた人間は、人格を持つ者で「知性、感情、意志」が与えられています。まさに、神は、創造の初めから人の人格に「良心」をも与えられて、何が善で何が悪であるかを判断する心を人間に与えられたのです。これは人間だけのもので他の動物には与えられませんでした。
 聖書の中に「良心」に関する言葉が数箇所にあります。使徒パウロは「それは、律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行なう者が正しいと認められるからです。」(ロマ2:13)神が人に与えられた言葉(律法)は、聞くだけでは意味がなく、その言葉を実行する者が正しいと認められると主張しています。その説明文としてパウロは「律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行ないをする場合は、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。彼らはこのようにして、律法の命じる行ないが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心も一緒になってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。」(ローマ2:14-15)聖書は、人の心には神の言葉(律法)に対して、善し悪しを判断するものを例外なしに誰でも持っていると言うのです。
 新約聖書のなかった紀元前のソクラテスは、自分のの「衷に働く良心の声」に対して「諫止すれども催進せず」と言う心の声に対して、いつでも敏感に反応していたのです。古代ギリシャの時代にあって、傑出した希有の人物ではないかと想像を巡らしています。
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